ルーラーの髭
髭はたくさんの国や宗教で尊ばれている存在である。
人格や地位を形成するための重要なものとされていることも非常に多くある。
ここにも髭が大切に扱われている国があった。なかでも、この国の統治者である彼(名前は伏せておく)は、自分の髭に対する執着心がことにすごかった。
まず、一流の理髪師に髪よりも丹念に髭を整えてもらう。これが毎日の日課だ。そして鏡の前に立ち、どの角度であろうと髭が美しい形をしているかをチェックする。これも日課である。寝るときもまた、髭に十分に水分保湿をしてから床につく。まさに彼の世界は髭によって支配され、髭によって回っているといっていい。彼は自分の髭に絶対的自信と誇りを持っていたので、この生活に不満はなかった。
しかし、事件は起こってしまうものである。
いつものように彼は理髪師に髭を整えてもらっていた。彼は最近の過密なスケジュールにより極度の寝不足であった。そんな訳でつい、うたた寝をしてしまったのである。理髪師がハサミで毛先を整えていたその時、彼の首が激しく動いた。
じょきん……!
理髪師は慌てふためいた。なんせ彼の右の髭の半分がなくなっているのだから。だが、時すでに遅し。理髪師は自分の人生の終わりを悟った。ゆっくりと彼の顔を覗いた。その顔は人間とは思えぬ恐ろしい形相であったという。理髪師は声も出せずにただ震えていた。
理髪師はそのまま牢屋へと連れて行かれた。そして時を待たずして刑が執行された。刑罰の俗名は『首、ちょん、ぱさん』。
理髪師が処刑されても、彼の心は埋まらなかった。すっかり意気消沈してしまい、政治もおろそかになる始末。事態を重く見た側近達は付け髭をつけることを彼に提案した。最初は抵抗感がぬぐえなかったようだが、次第にそれをつけることが日課となっていった。
そんなある日、この国の大きな祭典が開かれた。彼はそこで演説をすることになっていた。その日は天気が悪く、風の強い日だった。彼が壇上に上がろうとしたその時、突風が吹き思わず彼はよろめいた。気を取り直して壇上に立ち上がったが、観衆がわずかにどよめいた。
彼は不思議に思った。そして悪い予感が背筋に走った。前方の床をちらりと見ると、そこには小さい毛の塊が横になっていた。彼は心の中で絶叫していた。遠くのほうで幼い声が聞こえた。
「あ、髭がない!」
その声は悪意もなにもない真実のみを伝えていた。そして、彼の思考回路は完全に停止した。彼はその日の自分の言動、行動を一切覚えていなかったという。
その後、彼は姿を消した。床に付け髭だけを残して。
